正倉院

正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北西に位置する、高床の大規模な校倉造(あぜくらづくり)倉庫で、聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた施設。
「古都奈良の文化財」の「東大寺」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。 元は東大寺の倉庫であったが、現在は宮内庁の正倉院宝庫及び正倉院宝物を管理する施設等機関である正倉院事務所が管理している。
正倉院の宝物には日本製品、中国(唐)や西域、遠くは ペルシャなどからの輸入品を含めた絵画・書跡・金工・漆工・木工・刀剣・陶器・ガラス器・楽器・仮面など、古代の美術工芸の粋を集めた作品が多く残るほか、奈良時代の日本を知るうえで貴重な史料である正倉院文書(もんじょ)、東大寺大仏開眼法要に関わる歴史的な品や古代の薬品なども所蔵され、文化財の一大宝庫である。
シルクロードの東の終点ともいわれる。

「正倉」とは

「正倉」とは、元来、「正税を収める倉」の意で、律令時代に各地から上納された米穀や物品などを保管するため、大蔵省をはじめとする役所に設けられたものであった。また、大寺にはそれぞれの寺領から納められた品や、寺の什器宝物などを収蔵する倉があった。これを正倉といい、正倉のある一画を塀で囲ったものを「正倉院」といった。
興福寺(奈良市)
東大寺(奈良市)
西大寺(奈良市)
薬師寺(奈良市)
元興寺(奈良市)
大安寺(奈良市)
法隆寺(生駒郡斑鳩町)
の、南都七大寺(なんとしちだいじ)には、それぞれこの正倉院があったといわれている。しかし、東大寺のもののみが残っているため、、「正倉院」は東大寺大仏殿北西に所在する宝庫を指す固有名詞と化している。 「南都七大寺」とは、奈良時代に平城京(南都・奈良)及びにその周辺に存在して朝廷の保護を受けた7つの大寺のこと。 上記の7つではなく、法隆寺は斑鳩に所在しているため、この法隆寺の代わりに唐招提寺を入れて南都七大寺とする説や、西大寺の代わりに弘福寺(現在の川原寺)を加える説もある。

おきにいり

3つに区分されている正倉院宝庫

正倉院宝庫は、北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)の3つに区分されており、北倉にはおもに聖武天皇・光明皇后ゆかりの品、中倉には東大寺の儀式関係品、文書記録、造東大寺司関係品など、南倉宝物には、仏具類のほか、東大寺大仏開眼会(かいげんえ)に使用された物品なども納められていた。
950年(天暦4年)、東大寺内にあった羂索院(けんさくいん)の双倉(ならびくら)が破損した際、そこに収められていた物品が正倉院南倉に移されている。
しかし長い年月の間に、修理などのために宝物が倉から取り出されることがたびたびあり、返納の際に違う倉に戻されたものなどがあって、宝物の所在場所はかなり移動している。
北倉は聖武天皇・光明皇后ゆかりの品を収めることから、厳重な管理がなされていた。宝庫の扉の開封には勅使(天皇からの使い)が立ち会うことを必要とされ、平安時代の各種文書記録にも「勅封蔵」と表現されている。
「勅封」とは本来「天皇の署名入りの紙を鍵に巻きつけて施錠すること」。

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